2011年11月16日水曜日

愛着とデザインと豊かな生活

写真:イタリアで一番小さな村、フィエーラ・ディ・プリミエーロ (人口550人)


前回から、あまりにも間が空きすぎたので、過去に書いたもんを投下します。


この前、といっても書きためてたモノなんで、半年以上前の話だが、
ボ~っとテレビを見ていたら、イタリアの小さな村とそこに住む人々を紹介する、
「小さな村の物語 イタリア」という番組をやっていた。

今回の登場人物は、精密工業が発展している村で、時計の修理工として働くジュゼップじいさん。大きな窓がある光に満ちた家に工房を構え、夫婦二人三脚で60年以上も時計の修理一筋を貫いている姿に驚いた。そして何より、60年経った今も、その仕事を楽しそうにしている姿が羨ましくもあり、微笑ましかった。
 
日本人の仕事のイメージって何となく「しんどい」だとか「義務」だとか、負のイメージが多い気がする。それに比べて、海外の人って、楽しんで仕事をしている気がするのは、きっと「好きなこと」を仕事にしているからだろうか。

理想的な働き方ってなんぞや?そもそも何のために働くのか
などというイカ臭い一人問答は、後輩の山田君に任せておいて、
個人的には、働くのであれば、人や社会の役に立ちたいなと思う。
そして、その結果、お金を貰えたらいいなと(米や野菜でも可)。
デザイン、特に工業デザインって、エンドユーザーに届くまで距離も時間も数あるから、本当に誰かの役に立てているかどうか分かりにくい。

番組中、特に印象に残ったのが、20年以上使いこまれた時計を直す、ジュゼップじいさんが言った言葉。

「愛着のあるモノはそのモノ以上の価値がある。時計には、人々の想い出が詰まってる。」
 
モノを作る立場として、また、過去3年以上に渡り、不要デザイン幇助を続けた身として、モノの価値について考えることは多いのだが、「愛着」というのは、大切なキーワードの一つだと思っている。




こうして、今一度「愛着」という言葉自体について考えてみたのだが、なんだか曖昧で良く分らない。
ということで、Yahoo辞書で調べてみた。

愛着
(1)慣れ親しんでいる人や物に心をひかれ、はなれがたく感ずること。あいじゃく。
「故郷に強い―を抱く」「―のある品」
(2)〔心〕 アタッチメント(2)に同じ。

なんだか、TPPに「参加」するのか、「事前交渉」だけなのか、ハッキリしないドジョウみたいな表現は分かりにくいので、「日本の行政に介入して、金巻き上げたる」とハッキリ断言しているアメリカの辞書、ロングマン英英辞書からも引用。

at‧tach‧ment
1 [uncountable and countable] a feeling that you like or love someone or something and that you would be unhappy without them.

さすがアングロサクソン、表現がストレート(笑)
要は、「好き」「愛してる」「無いと不幸せ」と感じる、モノやヒトへの感情。
というわけですな。




ということで、自分の身の周りで「好き」「愛してる」「無いと不幸せ」と感じるモノって何だろう、と考えてみると・・・
・・・
・・・
・・・
「嫁!!」←まだ新婚なんで許して(笑)
「家族?」
「友人・・・」
「結婚指輪」
ぐらいかな・・・
こうして、モノは好きだけど、案外、モノに対して執着が無いことが判明。
 
ん~何か自分の思っている「愛着感」と違うし、アングロサクソンほど単純明快ではない、とモヤモヤした日々を過ごしていたところ、ある日、器に丁寧に盛り付けられたランチを見て、これだと閃きました。

それは、作り手の気遣いと料理への愛情。
つまり、作り手の愛情を感じるモノだな、と。

モノの価値なんて、人それぞれだけど、確実なのは、作り手の愛情は伝わるということ。
作り手の愛情がそのモノ自体を美しくするわけではないが、それはブランド品だろうが、量産品だろうが、手作りだろうが、修理品だろうが、使い手には伝わると思う。

「愛情」がそのモノに「付く」から、人はその愛情を感じ取り大切にするのだと思う。
作り手の愛情の上に、使い手の愛情が積み重なって、やがて「愛着」に変わるのだろうな。
まぁ、愛だのなんだのと、文章にする自分が相当キモいんですが、許して下さい(笑)。


これは、モノだけに限らず、自分の仕事や友達、恋人や家族、地域や国に対しても同じで、愛情を積み重ねて、「愛着」へと変わった時、ジョセップじいさん夫婦のように、人生そのものに「愛着」を持ち、豊かで大らかな生活を送れるのではないかな、と思う今日この頃です。 




よし、まとまった、かな!?